黒橋付近(1953年)

1953年(昭和28年)撮影

日平製煉所

日平製煉所の写真 ※現在のNTTの中継施設付近 NTTの中継施設位置情報:32.622803, 131.450854

日平社宅(イラスト)

日平社宅イラスト

山神社(2003年)

2003年(平成15年)11月8日撮影 台風被害を受けた山神社。その後建て替えられました。 GoogleMap座標 32.628206, 131.447893

鉱山本部、倶楽部付近(昭和27年ごろ)

撮影時期:昭和27年ごろ 緑台、中島社宅に通じる山道から鉱山本部、倶楽部(養和館)方面を撮影 当時多くの人がこの山道を利用した。

協和会館(戦前の絵葉書)

施工:昭和12年(木造モルタル建) 建設費:40,000円 施工者:小宮山組 GoogleMap座標 32.629361, 131.449361

高木商店発行絵葉書(1)

高木商店発行絵葉書 鉱山事務所付近 昭和初期 1608×1032pix JPEG    

槇峰鉱山の遺構

鉱山関係の建物および遺構 選鉱場(~昭和9年) 当時、黒原地区にあり製煉所もありました。排煙などの公害問題があり昭和9年に現在の場所に移転しました。 また同時に製煉所は廃止されました。後この辺りは黒原社宅になりました。当 […]

槇峰鉱山史、北方町史より(4)

しかし、降盛を極めた鉱山も昭和三十八年頃から鉱況の悪化と銅の価格の低落に採算がとれず経営者・労働組合一体となり、いろいろな対策を講じたのであるが社内転換が時開始され、最終的には四〇〇〇名にのぼる従業員が家族とともに生まれ […]

槇峰鉱山史、北方町史より(3)

槇峰鉱山 従業員の生活 鉱山最盛期の昭和28年には、従業員・職員あわせて682人、世帯人数を合わせると約2000人に及ぶ人口があった。 従業員のほとんどは男であったが、約一割に当たる70から80名、戦時中は100から12 […]

槇峰鉱山史、北方町史より(2)

槇峰鉱山 選鉱 開山当初は掘り取られた鉱石は、主に女や子供によりカリコ(背負いかご)を使って坑外に運び出された。この女や子供のことを「後向き」といった。これは坑道が狭いのでカゴを背負ったままではUターンできなかったので、 […]

槇峰鉱山史、北方町史より(1)

槇峰鉱山 略歴 明暦3年(1675年)新庄屋吉エ門などによって発見。その後2回の廃坑 明治21年(1888年)日豊鉱山として再興する 明治22年(1889年)三菱社の経営となる 明治25年(1892年)三菱鉱山と改称され […]

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